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横瀬成繁 (室町時代) : ウィキペディア日本語版
横瀬成繁 (室町時代)[よこせ なりしげ]

横瀬 成繁(よこせ なりしげ)は、日本戦国時代前期の武将横瀬氏の第5代当主。岩松氏の重臣で筆頭家老。
== 生涯 ==
父国繁と共に岩松家純の重臣として活動し、文明3年(1471年)の下野攻めにも参戦している。家純の孫尚純と家純の和解にも尽くし、岩松氏の後継者に迎え入れた。長享2年(1488年)の父の死により家督を継いで岩松氏執事となった(ただし国繁は存命であり、家督を継いだのは明応3年(1494年)とも言われ、その場合は隠居した事になっている)。
明応4年(1495年)、尚純とその父明純長尾房清の支援で金山城を攻め込むが、成繁は金山城を死守、古河公方足利成氏の仲介により和議を結んだ。この結果、尚純は隠居、子の昌純が岩松氏当主となり、成繁が権力を握った。
文亀元年(1501年)に死去、嫡男の景繁が継いだ。没年は永正8年(1511年)とも。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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